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日本の瓦の起源


ちょっと専門的なお話になりますが、日本の瓦の起源のお話です。

「日本書紀」「元興寺縁起」(がんごうじえんぎ)によれば、崇峻天皇(すしゆん・すしゅん)元年(588)百済より仏舎利の献上と同時に寺院建築に必要な木工・瓦工・画工などの技術者が渡来、4人の瓦博士(瓦博士4名とは「麻奈文奴・まなふみ」「陽貴文・やんぎふん」「陵貴文・りゃんぎふん」「昔麻帝弥・きまてや」)たちが百済から渡来し、蘇我馬子の命を受けわが国最初の仏寺「飛鳥寺」(別名 法興寺もしくは元元興寺もとがんごうじ)の造瓦を担当したと伝えています。

中国での製造は3000年前に始まっています。
寺院建築以外で珍しい瓦施工の始まりは、藤原宮(694〜710)。大陸の建築様式が寺院以外に始めて取り入れられました。

飛鳥時代の粘土瓦は無釉系の窯変瓦(JISでは無釉瓦)です。
奈良時代に入り普及して行き200年足らずで東北・九州にまで波及、しかし需要逼迫(ひっぱく)に伴う品質の低下から、奈良後期から平安時代になると需要は激減しました。

その後、遣隋使や遣唐使の中国派遣に伴い、長安一帯の唐三彩や彩釉陶の技法が導入され、釉薬技法が新しい瓦の誕生となります。

燻し瓦の製法が伝えられたのは、安土桃山時代 明の一観によります。
織田信長の命により天守閣に金箔瓦で葺かれた安土城の粘土瓦を製作、この時期に燻し瓦の製法と、木型と粘土の間に雲母粉(キラ粉)をふって脱型しやすくする製法を伝えました。
桃山時代に入り民家に瓦が葺かれ始め、本格的な普及は江戸時代に入り、簡略葺きの桟瓦が発明されてからです。

寛永年間に町屋に多く使われ始めましたが、高価なため一部の階級での使用に限られていました。
1657年の江戸の大火(明歴大火)は本来瓦葺が奨励されるべき事件でしたが、逆に一部階級のぜいたくを抑える瓦葺禁止令が出され、普及にはいたりませんでした。
代わりに平瓦だけを葺く禁令に触れない程度の「火除瓦」も現れました。

延宝二年(1674年4月8日)和形瓦・桟瓦の起源は近江の国大津(現在の滋賀県大津市)の瓦工であった西村五兵正輝(後の半兵衛)西村半兵衛が、江戸の大火後、(1657年の明歴大火、1772年の行人坂火事、1806年の芝車坂の火事の3大火)軽くて格安の瓦を造りたいと、延宝二年1674年(330年前)に簡略瓦(J型)を発明してます。
享保5年(1720年)禁止令の解除に伴い、瓦葺が奨励される様になりました。
当時開発された物は蝋燭桟瓦で、切込みを提案するまでは、その後ではないかとの説があります。

引掛け桟瓦の考案は明治10年(1877年)工部省営繕課の考案とされ、明治18年(1885年)ロンドン万国博覧会に出品されました。
その後、文明開化で洋風建築が出現、フランス瓦・フレンチ(現在の洋形)
明治時代 愛知県西三河地方(三州瓦)兵庫県淡路島(淡路瓦)産地の形成
昭和29年JISに登録されました。

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